第七官界彷徨 尾崎翠を探して

浜野佐知監督作品

『第七官界彷徨 尾崎翠を探して』映画概要

 恋愛に成功するのは、植物の蘚(こけ)だけ。人間はみな、片恋か失恋ばかりしている…こんな奇妙な小説「第七官界彷徨」を書いた尾崎翠は、一時忘れられた幻の作家でした。時は、翠が生まれて一世紀以上経った2004年。彼女の作品と人生をコラージュした、この映画の完成とシンクロするように、新たな再評価が、静かに、深く、インターナショナルに進行中です。カラー作品、108分、35ミリ&16ミリ、モノラル録音。

監督=浜野佐知/脚本=山崎邦紀/
撮影=田中譲二/照明=上妻敏厚/音楽=吉岡しげ美
キャスト=白石加代子/吉行和子/柳愛里/
原田大二郎/白川和子/宮下順子/横山通代/石川真希

●12月パリの日仏女性研究シンポジウムで上映●

 冬のパリで行なわれる日仏女性研究シンポジウム「権力と女性表象-日本の女性たちが発言する-」の概要が決まりました。  主催は日仏会館と日仏女性研究学会で、フランスのフェミニズム理論誌『グリフ手帖』と、IRESCO-CNRSの協力を得て推進している日仏共同研究企画<女性研究における日仏比較-新しい比較方法論の必要性をめぐって->(助成:石橋財団)の第2年度の研究成果を総括するものだそうです。
 なんとも難しそうですが「ピンク映画3百本!」の浜野監督を招いていいのか、こちらで心配になりますが、棚沢直子・東洋大学教授をはじめとする主催者側の女性学者の皆さんは「だからこそ、面白い!」と大乗り気。お堅いイメージの強かったフェミニズム(中でも哲学の香り高いフランス)も、面目を一新しているようです。浜野監督も「日本の女性たちが発言する」というサブタイトルの前では、黙っていられないでしょう。(なお棚沢直子教授は、専門書以外では、角川文庫『フランスには、なぜ恋愛スキャンダルがないのか?』の著者でもあります)
 また、ビッグニュースがあります。この春に参加した、世界の女性映画祭のトップランナーともいうべき「クレテイユ国際女性映画祭」のジャッキー・ビュエ委員長が会場に駆け付け、浜野監督と対談してくれるのだそうです。フランスには『ロマンス』という過激なセミ・ハードコアを撮ったカトリーヌ・ブレヤさんという女性監督がいますが、ジャッキーさんは浜野監督とブレヤ監督の顔合わせも実現したいとか。いよいよ風雲急を告げる日仏女性研究シンポジウムです。
 シンポジウムの日時は、2000年12月1日(金)2日(土)、会場はパリ日本文化会館小ホールで、以下のようなスケジュールで行なわれます。

― 映画の夕べ ― 12月1日(金)
 15:00 開場
 15:30 映画上映『第七官界彷徨 尾崎翠を探して』(フランス語字幕付き)
 17:30 トークショー<浜野佐知+ジャッキー・ビュエ>
― シンポジウム ― 12月2日(土)
 10:00 開 場
 10:20 主旨説明 棚沢直子(文学) アンヌ=マリー・ドゥヴルー(社会学)
 10:35 第1部 古代 ~ 近世 司会:ピエール・スイリ(日本学―歴史)
 「古代の政治権力と女性」 荒木敏夫(歴史)
 「前近代における女性の位置とその変遷」 服藤早苗(歴史)
 13:30 第2部 近代 司会:クレール・ドダンヌ(日本学―文学)
 「近代天皇制国家の成立と女性運動」 舘かおる(女性学、ジェンダー研究)
 「<銃後の女性>と植民地主義」 加納実紀代(女性史、女性学)
 15:45 第3部 現代 司会:フランソワーズ・コラン(哲学、文学)
 「女たちの居心地のよさ・わるさ-女の位置の二重性-」 中嶋公子(フェミニズム研究)
 「日本的家族像の解体-長谷川町子から柳美里へ-」 佐藤浩子(文学)
 17:15 まとめ:エリカ・アプフェルボム(社会学)


●岡山で「地域発」の映像祭●

 全国的に地域発信、市民参加の映画作りが注目されていますが、そうした映画を集め、上映とトーク、シンポジウムを行なう「地域映像祭」が、岡山で2000年11月25日(土)と26日(日)開かれます。「第38回岡山市芸術祭」の中心企画『映像祭おかやま21』の一環で、『第七官界彷徨 尾崎翠を探して』も「鳥取発」の映画として上映されます。
 会場は、西川アイプラザ5階大ホールで、上映スケジュールと、作品は以下の通りです。

地域映画祭
11月25日(土)  10:30『つるヘンリー』(岡山県)
 12:30『わたしの見島』(山口県萩市)
 14:40『尾崎翠を探して』(鳥取県)上映後、浜野佐知監督トーク
 17:40『郡上一揆』(岐阜県)上映後、神山征二郎監督トーク
11月26日(日)  10:40『こむぎいろの天使 すがれ追い』(長野県)
 13:00 シンポジウム「映像と地域 地域発の映像と未来を考える」
 15:50「『ちんなねえ』(高知県)『かわいそう』(香川県高松市)

 なお『映像祭おかやま21』は、小学生を対象にしたアニメーションワークショップが、すでに8月から始まり、市民対象の映像作品の募集や映像製作ワークショップ等も同時に行なわれています。

【問い合わせ】 岡山市企画室文化政策課 〒700-8544 岡山市大供1-1-1
TEL.086-803-1000(代) FAX.086-803-1732
E-mail:bunkaseisaku@city.okayama.okayama.jp

●岐阜・高山で市民主催の上映会●

 高山市で自主上映活動を行なっている「フィルムを楽しむ会 True Tree 」(榎尚子代表)が、2000年11月23日(木)に『第七官界彷徨 尾崎翠を探して』の上映会と、浜野佐知監督のトークを開催します。
 会場は、高山市民文化会館(小ホール)で2回の上映と、その間に浜野監督のトークが入ります。地元でユニークな活動を展開している女性たちを中心に、企画が推進されているそうですが、ここでも不思議な出会いがひとつ。榎さんたちが準備の活動をしているところに、たまたま出くわしたのが、この夏、高山に転勤してきたばかりの安間吉則氏でした。
 安間氏は、浜野監督やヤマザキと「福岡映画大学」(1999年7月31日~8月1日)で出会い、その後9月に、当時、氏の勤務していた名古屋で開かれた「あいち国際女性映画祭」でも旧交を温めました。
 転勤した先の高山で『尾崎翠を探して』を上映する機会がないか考えている、という葉書をくれた直後に、偶然榎さんたちの準備活動に巡り合ったのです。旧知の安間氏が合流したことで、さらに上映会が推進されれば幸いです。
 そういえば、上記の岡山「地域映像祭」の中心メンバーである真田明彦氏も「福岡映画大学」で出会ったのでした。各地の自主上映サークルなどで活動している人たちが、ゲストの監督たち(福岡では山田洋次監督や高畑勲監督、浜野監督など)と映画について語り合うのが「映画大学」で、毎年各地を巡回しながら開催されているそうです。神戸の岡本健一郎さん、大変お世話になりました。
 何だか私信のようになりましたが、高山といえば、ヤマザキがここ数年断続的に読んでいる中里介山『大菩薩峠』にも重要な舞台として登場していて、個人的にも大変楽しみです。(2000・9・26)

 高山市での上映については、後日再度掲載しますが、下記にお問い合わせください。
「フィルムを楽しむ会 True Tree 」(榎尚子代表)E-mail:negi99@aqua.ocn.ne.jp

●芸術祭の上映は、葉書で申し込み!●

 『第七官界彷徨 尾崎翠を探して』が平成12年度芸術祭で上映されることは、すでに掲示しましたが、これが葉書の申込み制で、締切がなんと10月2日(月)必着 という慌ただしさです(当方の情報入手が遅かったのかな?)。浜野監督に相談したところ、もし間に合わなくて、どうしても観たい方は、10月末までに旦々舎までご連絡ください。メールとファックスを、表の下に記します。
 イベントの名称は「日本映画名作鑑賞会 新しい風-日本映画2000」で、次のようなラインナップです。

日本映画名作鑑賞会 新しい風-日本映画2000
11月14日(火)  13:00『第七官界彷徨 尾崎翠を探して』浜野佐知監督
 15:30『 M/OTHER 』諏訪敦彦監督
11月15日(水)  13:00『白痴』手塚眞監督
 15:45『アドレナリンドライブ』矢口史靖監督
11月16日(木)  3:00『Mr. Pのダンシングスシバー』
 15:30『洗濯機は俺にまかせろ』篠原哲雄監督
11月17日(金)  13:00『アイ・ラブ・ユー』大澤豊・米内山明宏監督
 15:30『ナビィの恋』中江祐司監督
11月18日(土)  14:00『パーフェクト9』兼高謙二監督
 16:30『どこまでもいこう』塩田明彦監督
 応募方法は以下の通りです。
 ・会 場=東京国立近代美術館フィルムセンター(京橋)
 ・応募方法=葉書による申込み(入場料無料)
 ・申込み方法=官製(普通)葉書に、郵便番号、住所、氏名(フリガナ)、年令、
 電話番号、ご希望の日(1枚につき1日)を明記の上、下記まで申込む。
  〒104-8689 京橋郵便局留 芸術祭「日本映画名作鑑賞会」事務局係宛て。
 ・応募締切=10月2日(月)必着。
 当選者の発表は10月23日(月)までに招待状の発送をもってかえる。
  応募者多数の場合は抽選。
 ・問い合わせ=芸術祭「日本映画名作鑑賞会」事務局。TEL.03-3547-1113

★(株)旦々舎 FAX:03-3426-1522 E-mail:tantan-s@f4.dion.ne.jp

●米コロラド大学の学会で上映●

 アメリカのコロラド大学ボールダー校「東アジア言語文明」学科の主催で「ウーマン・ジャパニーズ・フィルムメーカーズ」という学会が、2000年10月5日~7日に開かれ、それに先立つ4日の夜7時から『第七官界彷徨 尾崎翠を探して』が上映されます。
 映画の完成から時間が経つにつれて、映画祭や上映会の機会が次第に減り、学会や研究会など難しそうなイベントが目立ってきました。「呼んでくれるところには、世界中、どこへでも行く」というのが、この作品に対する浜野監督の基本スタンスです。確かに、これまで日本の監督が誰も参加したことのなかったエジプトのアレクサンドリア映画祭にも行きましたが(近いうちに、面食らいっぱなしの同映画祭参加の記を書きます)しかし、英語で発表される学会で、果たして内容が分かるのか?
 ただ今回は、塚本靖代さん(東京大学大学院)や堀ひかりさん(学習院大学大学院)のように面識のある研究者の方々も参加されるので、その点は心強いものがあります。
 浜野監督は、4日の上映の際にスピーチした後、6日の「浜野作品の失われた女性アーティストを探して」というパネル(ひとつのテーマを設定した発表の場、ということらしい)で、塚本さんと、それぞれ別の角度から、この映画と尾崎翠について語ります。
 日本からは河瀬直美監督も参加し、基調スピーチを行なうほか、吉行由実さんの作品を対象にピンク映画の若い女性監督に関する発表もあるなど、新しいムーブメントを捉えようとする意図がうかがわれます。
『國文学』に大型の尾崎翠論を発表したリヴィア・モネ教授(カナダ・モントリオール大)が日本の少女ホラー映画について発表するというのも、興味津々。また、東京国際映画祭やドイツのドルトムント国際女性映画祭などでお会いし、世界中を駆け巡っている感のある米の映像作家、バーバラ・ハマーさんが、目下日本で手がけている小川プロダクションのドキュメンタリーについて発表されるようです。
 レズ&ゲイ映画祭でお見かけした溝口彰子さんは、目下アメリカに留学中とのことですが、黒澤明の映画における女性像について、また堀ひかりさんは、戦前から記録映画論の翻訳やシナリオ、製作に従事した先駆的女性映画人「厚木たか」を発掘、発表します。
 英語の発表をどれほど理解できるか、はなはだ心許ないものがありますが、帰り次第報告したいと思います。(2000・9・26)


●北海道立文学館での上映報告●

 上映後、一人の若い女性が「私もクィアなので、パーティーシーンの意味はよく分かりました」と話し掛けてくれたのには感激しました。トークの際に、ヤマザキが「クィア・パーティーの部分の毀誉褒貶が極端で、というより批判が多くて」とこぼしたのを受けてのことですが、レズビアンの彼女には、ドラァグ・クィーンをはじめとするクィア(変態)な人々の持つ含意が了解できたし、それは観る人に伝わっているはず、とのこと。
 ニューヨークの上映でも、このシーンが話題になりましたが、出来の評価はともかく、セクシュアリティを体感する熱度(?)において、ニューヨークも東京も札幌も山形も(浜野監督のピンク上映会で、バイ・セクシュアルらしき若い女性の発言があった)同じ時代を生きているのだと、改めて確認しました。
 2000年8月26日、札幌の中島公園にある北海道立文学館の講堂で、2回の上映とトークが行なわれました。全国に「文学館」と名の付く施設は多いらしいのですが、『第七官界彷徨 尾崎翠を探して』にとっては初めての文学館上映です。
 1回目のトークは、浜野監督と脚本のヤマザキ、2回目のトークには今回の実行委員長でもある山口昌男・札幌大学学長が、特別ゲストとして参加。山口先生は、市内の別のイベントでの対談が控えている中、つい最近入手したという『女人芸術』1930年2月号(尾崎翠が出席した座談会が載っている)の復刻版を片手に、尾崎翠の感覚と理論が、当時の作家たちとどれぐらい隔たっていたか、大いに語ってくれました。
「僕は、必要な情報は、必要な時に向こうから飛び込んでくる」と豪語する山口先生ですが、この日のトークの準備をしようとしていたら、古本屋で偶然『女人芸術』のこの号を入手したとか。それにしても、山口先生のキャラクターが札幌の人たちに愛されている様子がよく分かりました。
 
中島公園の芝生側から。

山口昌男さん。
 
左から、笠井嗣夫さん(詩人)、平原一良さん(道立文学館)、浜野監督、立花峰夫さん(北海道情報大学教授)。

 今回の上映会は、札幌大学の学長室を改造したギャラリーで、この映画を応援してくれたマンガ家の畑中純氏の宮沢賢治版画展が行なわれ、そこで氏と文学館の平原一良・事業課長が出会ったのがきっかけになっています。平原さんは近代文学の研究者でもありますが、トークの司会や、分刻みのスケジュールの山口先生の送り迎えなど、八面六臂の活躍ぶりでした。 v上映の実行委員には、札幌の有力な文化人の方々が名を連ねてくださったのですが、平原さん、集客にはご苦労されたのではないでしょうか。というのは、事前に朝日新聞札幌支局の女性記者から電話で「情報コーナーに載せるので、写真を使わせてほしい」という連絡を受けたのですが「尾崎翠なんて、誰も知りませんよね? 読んでる人、いるんですか?」と言われ、がっくり。とても感じのいい人で、掲載紙もきちんと送ってくれましたが、情報を扱うプロがこれでは、果たして…。と危惧したのですが、女性を中心に、満席近く集まってくれました。
 終了した後、実行委員の一人でもある中島洋さんが代表の市民映画館「シアターキノ」に併設したレストラン「エルフィンランド」で打ち上げ兼交流会。

※余談1 翌日、浜野監督とヤマザキは、文学館で平原さんと歓談した後「シアターキノ」を再訪し『ボーイズ・ドント・クライ』を観せてもらいました。浜野監督曰く「上映会で行った先で映画を観せてもらうのが趣味」というのも図々しい話ですが、この日の映画にも感銘。こういう映画をこそ、わたしたちは作らなければ…。昨年、山形の「フォーラム」で観せてもらった「キラーコンドーム」(NYが舞台で、イタリア人刑事が主人公の、ドイツ製ホモ映画)は、わたしには衝撃的でしたが、浜野監督は嫌って隣の日本映画に行きました。
※余談2 ヤマザキには、上映の合間に、実行委員の一人で詩人の笠井嗣夫さんと薬膳カレーを食べながら、映画やマンガの話ができたのも有益でした。田中登が大好きだという笠井さんは『月光の囁き』(塩田明彦監督)と、その原作マンガ(喜国雅彦)を示唆。わたしは帰京後、ビデオと文庫4巻でチェックして、すっかり映画に感服しました。笠井さんのホームページのBBSで、原作と映画化についてディスカッションできたのも楽しかった。笠井さんのホームページのアドレスを紹介しておきます。

http://www.asahi-net.or.jp/~ga2t-ksi/poem/home.html


●今秋は芸術祭や海外の学会へ●

 「芸術祭参加作品」というのは、よく聞く言葉ですが、この映画が2000年度(第55回)芸術祭・映画鑑賞会部門で選ばれ、東京国立近代美術館フィルムセンターで上映されることになりました。開催日は11月14日~18日ですが、その内のいつになるかはまだ決定していません。決まりしだい、このHPで報告します。
 また、海外の学会にも招かれています。10月5日~7日に、アメリカのコロラド大学の「東アジアの言語と文化」部門が主催する学会があり、この映画の上映とパネル・ディスカッションも行なわれます。浜野監督が参加しますが、映画のパンフレットに新鮮な尾崎翠論を書いてくれた塚本靖代さん(東京大学大学院博士課程)も参加されます。98年夏の、パーティーシーンの撮影の見学にも来られた塚本さんですが(最後の撮影で、スタッフはへばり、果たしてこの映画は出来上がるのか、という暗雲が漂っていた。監督だけは、バリバリ元気でしたけどね)2年後に浜野監督と塚本さんがコロラドで尾崎翠について語るというのも、尾崎翠とこの映画の現在を表わしているようです。
 また、12月1日~2日には、フランスのパリ日本文化会館で、日仏女性研究学会が開催するシンポジウムがあり、その中の「日本の女性映画の夕べ」で、この映画が上映されます。シンポジウムのテーマは「日本の女性が発言するー女性の表象と権力ー」で、1日の講演には浜野監督も出席します。日仏女性研究学会は、別名「日仏女性資料センター」ともいい、1983年に創立されて以来「フランスの女性問題に関する資料の収集や保存、提供を中心に様々な活動を通して日仏の交流を深めてきた」そうです(紹介記事より)。
 今回のシンポジウムのアドバイザーの一人に、映画評論家の石原郁子さんがいたそうですが、これも不思議な縁で、実は誰も知らない(でもないか)エピソードがあるのです。やはり、パーティーシーンの撮影にまつわるのですが、石原さんの著書『菫(すみれ)色の映画祭』(フィルムアート社)にすっかり感銘を受けたヤマザキが、面識のない石原さんにファックスし、クィア・パーティーのエキストラにお誘いしました。まさかと思ったのですが、チャイニーズ・マフィア調のサングラスで快く参加して頂き、すっかり恐縮した次第です。とは言うものの、あのパーティーシーンのどこに石原さんが映っているのか、おそらく百回以上は観ているヤマザキも、いまだ確認していません。同じくエキストラの若手マンガ家、松永豊和氏は「みんながいっぱいタムロしているカットで、自分の後頭部が映っていた」と言っていましたが、そうなると本人だけが知る世界です。


●翠の親友、松下文子の故郷、北海道で上映&トーク決定●

 昭和初年代には、東京から「名代きんつば」を、北海道に4日がかりで郵送するなんてことが、本当にあったのでしょうか。尾崎翠の作品の中では、案外に話題にならないけれど、揺るぎない傑作である(と思う)「途上にて」は、松下文子らしき北海道に去った女友達に送る手紙の体裁をとっています。
 外国のエピソードが入る構成は「こほろぎ嬢」に似てますが、男女のどちらかが複数であるという点では「木犀」とも共通していて、この「木犀」には「北の牧場で牛と一緒に暮らしている」「N氏」が登場します。「北の牧場」ですから、岩手県かも知れません。
 ともかく、尾崎翠の小説や人生と、ひとすじつながっている北海道での上映が、ようやく実現することになりました。
 8月26日(土)札幌市中央区中島公園の北海道立文学館の講堂で、午後2時からと、午後4時30分からの2回、上映とトークが行なわれます。1回目のトークは浜野監督と脚本の山崎ですが、2回目には上映実行委員長の山口昌男さん(文化人類学者・札幌大学学長)という強力ゲストが加わります。  会場の関係で1回100名の定員制となり、文学館の事業課まで電話、あるいはファックスで申し込む必要があります。折り返しチケット代わりの葉書(定員オーバーの場合はお詫びの葉書)が送られることになっています。参加費1000円(文学館会員および北海道近代文学懇話会会員は800円)。

北海道上映実行委員会の委員は、次の方々です。
実行委員長=山口昌男(札幌大学学長/文化人類学)、実行委員(50音順)=笠井嗣夫(詩人/詩・評論)木原くみこ(FM三角山放送局代表)工藤正広(北海道大学教授/詩・ロシア文学)立花峰夫(北海道情報大学教授/日本近代文学)玉木博司(北海道フィルムアート代表)中澤千磨夫(北海道武蔵女子短期大学教授/日本近代文学)中島洋(シアターキノ代表/映像作家)波多野ゆかり(映像作家)平原一良(北海道文学館/日本近代文学)
【申し込み・問い合せ先】札幌市中央区中島公園1ー4 北海道立文学館 事業課
TEL.011-511-7655 FAX.011-511-3266


●大学の研究会でビデオ上映とディスカッション●

 5月、6月と、大学の研究会でビデオ上映し、ディスカッションするという機会が続きました。まず、5月26日には「フェミニズムと現代思想研究会」が毎月「女性と映像表現」というテーマで開いている例会で『第七官界彷徨 尾崎翠を探して』のビデオ鑑賞とディスカッションを行ないました。浜野監督が映画について話した後、京都の渡邊綾香さん(国際日本文化研究センター・博士後期課程)が尾崎翠研究の歴史と最近の動向について発表されました。
 渡邊さんは98年の東京国際映画祭の後、新宿・紀伊国屋ホールで急きょ行った上映会に、わざわざ京都から観に来られ、その後、熱のこもった感想を送ってくれた研究者です。渡邊さんの懇切な批評を読んで、ヤマザキは出発点にあった初心を思い起したほどで、その一部はチラシの「尾崎翠通信3」に収録させてもらいました。
 この日は、塚本靖代さんも参加され、奇しくも「尾崎翠通信3」には、尾崎翠の新進研究者である、お二人の映画に対する感想が並んでいます。塚本さんにお会いするまでは、学会誌などに発表された専門的な論文など読んだことがなかったヤマザキですが、お二人の修士論文を拝読し、新しい時代の到来を直覚しました。その一方で「これはもう稲垣氏の出る幕はないな」と思ったものですが、にも関わらず氏は既得権益を守ろうとして愚かなミスを重ねています(ヤマザキの稲垣氏批判は、このHPの「雑誌『鳩よ!』の歯切れの悪い訂正について」および映画のパンフレットの「お散歩、漫想家の領土を」参照)
 この日のディスカッションの最後に「クィア・パーティーのシーンが物足りないのは、社会に対する毒気をたっぷり持っているはずのドラァグ・クィーンたちが、牙を抜かれ、人が良さそうに見えるからだ」という意見が出され、ヤマザキはすっかり唸ってしまいました。「善良なドラァグ・クイーン!」。確かにこれは語義矛盾です。スルドイご指摘でした。
 6月20日には「女性文学会」が、浜野監督のピンク映画をビデオ鑑賞し、その後「尾崎翠を探して」も含めてディスカッションするという、いささか冒険的な(?)試みを行ないました。会員の多くがすでに日本インディペンデント映画祭などで『尾崎翠を探して』を観ているので、浜野監督のピンク映画を視野に入れて討論しようという与那覇恵子さんの判断です。この会では、精神病理学の立場から尾崎翠の作品を分析した忘れがたい論文「匂いとしての<わたし>ー尾崎翠の述語的世界ー」(94年)の近藤裕子さんも中心メンバーの一人です。
 なかなか観る機会のないピンク映画を、一度は観ておきたいと、男女の学生がずいぶん参加し、浜野監督の方が面食らうほどでした。初めての経験だけに、ナイーヴな感想が多かったのですが「性の商品化の是非」「果敢に行動するヒロインは、性的な主体なのか客体なのか」「監督の込めたメッセージと、作品自体の持つ意味、あるいは効果との齟齬」など、すぐには答えの出ない問題も出されました。
 なお、近藤裕子さんの、尾崎翠論を含む博士論文が、今年中には公刊されそうなので、大いに期待して待つことにしましょう。また、10月に映画の上映やパネルディスカッションが行なわれるコロラド大学から、フェイ・クリーマン助教授が、日本に研究留学中で、その間、女性文学会に参加されています。5月の例会では戦前の台湾の植民地文学について、たいへん興味深い発表をされました。今回、浜野監督とコロラドで再会することを約していましたが、これも偶然とはいえ、不思議な出会いです。



●日本インディペンデント映画祭「林あまり賞」受賞●

 今年で第7回を迎え、スケールアップして開催された「日本インディペンデント映画祭2000」のサポーターズ部門で「林あまり賞」を受賞しました。
 従来、業界外の人にはあまり馴染みのない催しでしたが、今年は会場を「ル テアトル銀座」に構え、大幅にバージョンアップ。これまで贈ってきた最優秀新人監督賞を、新藤兼人監督の名前を冠した「新藤賞」と改め、さらに「日本映画を愛する各界のサポーター」4人による「私のベスト・ワン」を表彰しました。
「新藤賞」金賞は『ナビィの恋』の中江裕司監督、銀賞が『どこまでもいこう』の塩田明彦監督、サポーターズ部門の「津川雅彦賞」が降旗康男監督の『鉄道員(ぽっぽや)』、「立川志らく賞」が是枝裕和監督の『ワンダフルライフ』、「サンプラザ中野賞」が石井克人監督の『鮫肌男と桃尻女』、そして「林あまり賞」が『第七官界彷徨 尾崎翠を探して』だったのです。
 映画祭は5月3日から6日まで行なわれましたが、「第七官界彷徨 尾崎翠を探して」の授賞式、林あまりさんと浜野監督のトーク、上映が行なわれたのは4日の午後3時15分からでした。
 二人のトークの司会はTV「王様のブランチ」の、こはたあつこさん。「天上の尾崎翠が、私に映画化されるのを待っていたような気さえする」という浜野監督に対し、林さんが「読書体験としても、尾崎翠の作品に出会うと、自分に読まれるのを待っていてくれたような思いになるのです」と語ったのが印象的でした。
 
右が林あまりさん、左は司会のこはたあつこさん。

会場前でキャンディ・ミルキイさんと浜野監督。
 
 また、前夜祭のパーティーや、この日の授賞式+トークを通じて、クィア・パーティーのシーンに出演しているキャンディ・ミルキイさんが出現し、皆さんの耳目を一身に集めていました。  また、この映画祭のTVドキュメント「日本インディペンデント映画祭2000」がTBSで、5月22日深夜に放映されました。すでに日本映画のほとんどが、メジャーとは無縁のインディペンデント映画になっている、という現状が、すんなり伝わってくる番組でした。浜野監督は、この中で「観客よりも、尾崎翠に捧げて恥ずかしくないものを作ろうという一念」と語るなど、気を吐いてます。

 映画祭のパンフレットに掲載された、林あまりさんのメッセージを全文紹介しましょう。
 「尾崎翠ー。いくつかの光り輝く小説を残して筆を折った女性だ。その生涯はまさに謎だらけで、確かなことなどほとんどわからない。けれどその作品の力といったら! 代表作『第七官界彷徨』を読んでしまったらもうほかの作家の小説など何ひとつ読まなくてもいい、という気分にさえなるほど、そのインパクトは強く、たちのぼる香りはいつまでも消えない。『尾崎翠を探して』という題名の映画が完成したと聞き、私は「なんとしても観たい」と思った。でも一方で、尾崎翠のイメージをぶち壊しにするような駄作だったらどうしよう、と少しはこわかったのも事実だ。結果はーすばらしい! スクリーンにぐいぐい引き込まれ、ラストまでまったく目が離せなかった。白石加代子、吉行和子、柳愛里というぴったりの役者を得て日本映画の歴史に残る一本がここに生まれた。ぜひ一人でも多くの人に観てほしい」
 また林さんは、この日のことを後日、文春のPR誌「本の話」6月号の「平成12年黄金週間読書日記」に次のように書いています。
「おこがましくも“林あまり賞”なるものを贈呈させていただき、監督の浜野佐知さんとトークショー、その後上映、という流れだ。初対面の浜野監督はロングヘアの素敵な女性で、これまでにピンク映画300本を監督してきたというキャリアの持ち主。パワフルで熱い監督のトークにひきこまれ、本当にこの映画を選んでよかった、と思った。尾崎翠というと“か弱い薄幸のひと”というイメージがあるが、この映画では個性的で力強い、生活感たっぷりの女に描かれている。主演の白石加代子、友人役の吉行和子、そして劇中の小説『第七官界彷徨』のヒロイン役・柳愛里(柳美里の妹さんでもある)、この3人の演技は絶品!」(抜粋)

 まことに有り難い評価ですが、なお林あまりさんの尾崎翠論「グッバイ、センチナウタヨミー尾崎翠、歌のわかれー」は、岩波書店の「短歌と日本人」全7巻の第5巻『短歌の私、日本の私』(坪内稔典編、99年5月刊、2800円税別)に収録されています。尾崎翠が鳥取に帰った後、地元の歌誌『情脈』1934年4月号に発表した随筆「もくれん」をきっかけに、翠と短歌の関わりについて論じたものです。
 翠のこの随筆の最後に置かれたフレーズ「ハロオ、センチナウタヨミ。羽織ヲヌイデ夏ノウタヲ支度シナサイ」は心にしみますが、前年やはり鳥取の詩歌誌『曠野』11月号に発表された「神々に捧ぐる詩」に、やはり「ハロウ」「ハアロウ」という、宇宙での一方通行みたいな呼び掛けが、3度登場します。本格的な沈黙を前に、翠はいったい誰に向かって呼び掛けていたのでしょうか。遥か時空を越えた、2000年の読者や映画監督に呼び掛けていたーというのでは、あまりに「センチナ」読解ですが、わたしたちそれぞれが、翠からの遠い「ハロウ」をキャッチしているような、そんな気分になることはありませんか?


●クレティーユ国際女性映画祭報告●

浜野佐知

 世界の第一線の女性監督たちと間近に交流し、それぞれ自負心を持って出品した作品を競い合う。なんと心の震える日々を経験したことでしょう。国際的な女性映画祭として、今年で22年目の歴史を持ち、わたしたち女性映画人の目標となっているのが、パリ郊外で開かれるクレティーユ国際女性映画祭です。今年も3月24日から4月2日まで開催されましたが、コンペ部門に『第七官界彷徨 尾崎翠を探して』が選ばれ、わたしも参加してきました。(*注1)
 クレティーユは、パリから地下鉄で南下した終点の市で、美しい湖と駅を中心に広がる住宅地です。この映画祭は、実行委員長を務めるジャッキー・ブエさんを中心に運営されてきましたが、彼女はこの功績によって今年フランス政府から表彰されるそうです。(*注2)
 今回のコンペ部門の正式出品作は、長編フィクションが10本、長編ドキュメンタリーが10本、短篇が30本ですが、地中海特集やその他世界の女性監督作品を集め、総計百本を越える映画が上映されました。(*注3)
 『第七官界彷徨 尾崎翠を探して』は、都合3回の上映と、2回の観客とのディスカッションが行なわれました。それ以外にも、パリ市内のインターネット局でのインタビューや、CD-ROMの取材などもあり、多くの人が関心を寄せてくれたと思います。(*注4)
 これまで海外では、ドイツのドルトムントやベルリン、エジプトのアレキサンドリア、ニューヨークなどで、この作品を上映してきましたが、一般的な傾向としては、多数派が「三部構成が分かりにくい」「難解だ」と言う中、少数の熱心な支持者が出現するというパターンを描いてきました。これは国内でも同様の反応が見られるのですが、尾崎翠の作品に「はまる」人と「取っ付きにくい」と言う人が、はっきり別れるように、この映画もまた観客を選ぶ(?)ようです。
 その中ではニューヨークのジャパン・ソサイエティでの上映が湧き、肥やしを煮たり、苔が恋愛したり、人間が切々と片恋の歌を歌ったりする尾崎翠の原作の持つユーモアに、観客が感度良くどよめいたのにはビックリ。英語字幕になったら、原作の言葉の持つニュアンスが伝わらないのでは? といった心配を誰もがしていたのですが、着想の奇抜さやユーモラスな展開が、モノを通して語られるので、案外観客の胸にストレートに染み込んでいくようです。
フィナーレで、世界の女性監督たちが壇上に。

実行委員長のジャッキー・ブエさんが、記録用のインタビューをしてくれた。

CD-ROM の取材チームと。
浜野監督の隣りは津田桜さん。
 今回のフランスの観客のリアクションは、今観ている映画を気持ち良く楽しもうというニューヨークの観客とは、はっきり異なるものでした。案外に静かな観客席に、最初のうちは「全然受けていないのでは」とヒヤリとしたのですが、どうも違うようです。画面と対峙し、何事か深く考えているようで、一助と二助がフスマ越しに議論し、進化論などを持ち出して、人間の祖先は苔である、などと主張するところでは、クスクス笑いが起きたりしました。(*注5)
 上映後に「素晴らしかった」と声をかけてくれるのは嬉しいのですが、滔々と感想を述べて止まりません。フランスはどうも、ちょうちょう発止の議論の大変好きな国のようです。わたしはフランス語ができませんので、映画祭事務局の広報担当の研修スタッフとして参加した津田桜さん(リヨンのリュミエール大学修士課程在学中。心から感謝!)が通訳してくれるのですが、フランス人の熱弁を交通整理するのに大わらわでした。(*注6)
 場所を移したディスカッションでは、参加者は多くありませんが「心理的な分裂に対する芸術的なアプローチは、翠が作品を書いた当時の日本で、どれぐらい行なわれていたのか?」「監督の強調するセクシュアリティの探求は、映画の中で翠が否定する自然主義文学の中でこそ追求されたのではないか?」等といった大変理論的な質問が、日常会話のように飛び出してきます。
 さらには「この映画を見ながら、1949年に発表されたボーヴォワールの主著『第二の性』を想起したが、彼女の思想や生き方の影響は受けているのか?」といった思いがけない質問まで飛び出し、こちらが考え込んでしまったりする場面も少なくありませんでした。しかし、いずれもわたしの作品世界に惹かれ、真剣に考えてくれていることが伝わってくる熱っぽいものです。わたしのフランス人に対する浅薄な先入見(例えば「自文化中心主義」「冷たい」など)はあっさりと刷新されました。
 長編フィクションのコンペに出品された他の作品は、一家そろって超肥満の母親と三人の娘を描いた『ソフト・フルーツ』(オーストリア)、女子高生がレズビアンであることを自覚する過程をギャグタッチで描いた『バット・アイム・ア・チアリーダー』(アメリカ)、日本でも大人気の金城クンが主演する香港・中国・日本合作の『テンプティング・ハート』、エスキモーに似た生活を送っていたシベリアの少数民族が、共産主義によっていかなる抑圧を受け、ロシアに同化することを強制されたかを、ドキュメンタリータッチで描いた『ツンドラの七つの唄』(フィンランド。監督は、少数民族出身の女性とフィンランド男性の共同監督。なおフランス語タイトルは『SEPT CHANTS DE LA TOUNDRA』)、幼い少女の孤独な魂の行方を緊迫感ある映像で描いた『海から来た叔父さん』(スイス。なおドイツ語の原題は『DER ONKEL VOM MEER』)など、いずれも実験精神に富んだ意欲作が並んでいます。
 作風は大きく異なりますが、どれをとっても、監督たちが精魂を込めた作品であることが伝わってくるもので、心からの共感とともに、わたしもまた監督として鼓舞される思いでした。この映画祭は、普通の国際映画祭のコンペ部門と違って賞の数が少なく、トータルで六つしかありません。
 長編フィクションに対しては二つの賞があり、審査員賞が、20世紀の少数民族の運命を少女の目を通して描いた異色作『ツンドラの七つの唄』、観客賞が、監督自らのレズビアンとしてのカミング・アウト体験をもとに描いたという可愛らしい『バット・アイム・ア・チアリーダー』に決定しました。(*注7)
 受賞できなかったことは残念でしたが、どちらもこの映画祭にふさわしい作品といえます。また、閉会後に客席に降った風船をわたしのところに持ってきて「あなたの作品こそ賞に値する。この風船は、わたしからの観客賞です」と言ってくれた女性の彫刻家がいました。大変嬉しかったことは言うまでもありませんが、この人もわたしの作品のどこが素晴らしいか、怒涛の勢いで話して止まることがありません。通訳の桜さんと嬉しい悲鳴を上げました。
 なお、長編ドキュメンタリー賞を受けたアメリカ作品の『シャドー・ボクサー』は、女性ボクシングの世界チャンピオン、ルシア・ライカーを中心に、格闘する女性たちを追った力作です。闘いに賭ける人生哲学が語られているようですが、日本語字幕で観てみたいものです。
 開催中にスタジオでジャッキーさんのインタビューを受けましたが、これはビデオに収録して保存するのだそうです。その中でジャッキーさんは、わたしの作ってきたピンク映画に大きな興味を示し「フランスで性について果敢に挑戦する数少ない女性監督に、カトリーヌ・ブレヤがいるが、知っているだろうか?」と尋ねてきました。たまたま昨年ニューヨークで、話題をまいた挑発的な作品『ロマンス』を観たことを話すと、ジャッキーさんは大いに喜んで「佐知とカトリーヌの作品を並べて、性について考える特集をしてみたい」と言ってくれたのには感激しました。
 また、ジャッキーさんは「今回の上映を機会に、尾崎翠の作品のフランス語訳ができることを期待している」とも言ってくれましたが、これは多くの観客からも言われたことです。目下、アメリカには『こほろぎ嬢』の翻訳があり『詩人の靴』の翻訳も進んでいるようですが、ぜひフランスの読者にも尾崎翠の作品の素晴らしさを堪能してもらいたいものです。
 クレティーユは、カンヌやベルリンといった商業的な大映画祭とは異なりますが、スタッフと観客が一丸となって盛り上げる、すがすがしい映画祭でした。新作を持って来年もまたぜひやって来たい、と皆さんに挨拶してきましたが、なんとか頑張って実現したいものです。(*注8)


(注記=ヤマザキ)
*注1=「女性の映画祭なのだから、男がノコノコ参加したら『尾崎翠を探して』の評判を下げるだけ」という忠告もあったなか、脚本のヤマザキも参加しました。資金不足のため、期間中ホームスティしたのですが、貧乏な日本のオヤジに対しても、映画祭のスタッフの皆さんがとてもフランクで、感激しました。確かに組織は女性中心の編成ですが、男のスタッフも各ポジションで、にこやかに働いています。時に自分が男であることで居心地が悪いケースがないでもありませんが、それは別にフランスに限ったことではなく、日本でも良くあることです。男社会で働く女性の疎外感に、これは近いものだろうか、などと自問しますが、甘いかも知れません。しかし、男だけの組織に戻る蛮勇は、わたしにはありません。
*注2=ジャッキーさんは、フランスの女性映画界の草分けで、岩波ホールの高野悦子さんとも親交がありますが、わたしたちを見かけると、にっこり笑って手を振ってくれたり、気さくな方でした。今年、12月にフランスで行なわれる日仏女性研究学会で『尾崎翠を探して』が上映されることになりましたが、この折りにもジャッキーさんと浜野監督が対談する企画があるそうです。
*注3=オープニングのゲストは、ギリシャの国際女優、イレーネ・パパス。「フランスニュースダイジェスト」紙によれば「女の監督は理論的、男の監督は神経質ね。男性監督は大きな子供だと思って接するの」と語って聴衆を笑わせたとか。(会場にいたのですが、残念ながら雰囲気しか分かりません)
*注4=CD-ROM のインタビュアーが、浜野監督のピンク映画の話になったら急に目を輝かせ、妙な発音で「ピンクエイガ!」と言いだしたのにはビックリ。ドイツにはピンク映画のポスターなどをコレクションしているアーチストがいると聞いたことがありますが、フランスにもピンク映画のオタクがいたのです。
*注5=日本での上映で笑い声が起きることは、まず少ないのですが、声を出さずとも「片恋の唄」の合唱を聞きながら、二助がぼやくシーンなど、相当可笑しがっている人は多いようです。一助と二助の、フスマ越しの進化論などをめぐる対話でクスクス笑いが起きたのには、さすがはフランスという思いを強くしました。尾崎翠の作品のフランス語訳が出たら、すっと自然に受け入れられるのかも知れません。
*注6=桜さんはプレス担当として働くかたわら、浜野監督の通訳を務めてくれたのですが、いつも懸命に走り回っている「駈ける大和ナデシコ」です。プレスの仕事だけでも大忙しなのに、浜野監督のインタビューや質疑応答などが頻繁にあり、大車輪の活躍でした。わたしにはフランス語はチンプンカンプンですが、フランス在住のジャーナリスト、田中久美子さん(日本語新聞「フランスニュースダイジェスト」記者)によれば、大変正確でニュアンスをつかんだ通訳だそうです。映画研究者としてではなく、映画の製作あるいは流通の現場で仕事をしたいという桜さんですが、ぜひ実現してください。なお「大和撫子」なんて言葉は明らかに死語、あるいは差別語ですが、奮闘する桜さんを見ていたら「闘う大和ナデシコ」なんて言葉が浮かんできました。海外で出会う日本人は、みな女性が溌剌としているのは何故でしょう?
*注7=「ツンドラの7つの唄」は、エピソードを淡々と重ねていますが、共産主義という20世紀の実験が、厳しい自然とともに暮らしてきた少数民族にとって、どういう体験であったかを描いた(バックグラウンドの)スケールが大きな映画です。セリフが少ないのも、比較的作品の世界に入れた理由かも知れません。
*注8=わたしがホームスティさせてもらったマダム・リフェのお宅には、ユーゴからの留学生ミレラが寄宿していましたし、チェコから移住してきたターニャも親しく顔を出していました。どちらも若い女性ですが、さらに短期とはいえ、日本の中年男を受け入れてくれたマダム・リフェの包容力の大きさに驚嘆します。津田桜さんによれば、フランスの家庭の二つの典型的なタイプ、家族と他人を厳しく分ける個人主義的な家庭とは、ちょうど正反対の開放的な家庭が、マダム・リフェのお宅だったそうです。毎朝、わたしは会話用語集、マダムは英仏辞典をかたわらに置きながら、食事と会話を試みました。TVに日本と北海道の地図が現れ、マダムが眉をひそめたのが有珠山の噴火だったのも、記憶に残ります。一生のうちに何度もない、得がたい時間で、マダム・リフェには感謝あるのみです。



MIDORI  TOP

『第七官界彷徨 尾崎翠を探して』上映委員会
sense-7@f3.dion.ne.jp