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第七官界彷徨 尾崎翠を探して浜野佐知監督作品 |
『第七官界彷徨 尾崎翠を探して』映画概要
恋愛に成功するのは、植物の蘚(こけ)だけ。人間はみな、片恋か失恋ばかりしている…こんな奇妙な小説「第七官界彷徨」を書いた尾崎翠は、一時忘れられた幻の作家でした。時は、翠が生まれて一世紀以上経った2004年。彼女の作品と人生をコラージュした、この映画の完成とシンクロするように、新たな再評価が、静かに、深く、インターナショナルに進行中です。カラー作品、108分、35ミリ&16ミリ、モノラル録音。
監督=浜野佐知/脚本=山崎邦紀/
撮影=田中譲二/照明=上妻敏厚/音楽=吉岡しげ美 キャスト=白石加代子/吉行和子/柳愛里/ 原田大二郎/白川和子/宮下順子/横山通代/石川真希
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●「尾崎翠フォーラム・in・鳥取」報告集できる●-貴重な小倉さんと加藤さんの講演記録- |
画期的な成果をあげた2001年「尾崎翠フォーラム・in・鳥取」の報告集ができあがりました。話題を呼んだ小倉千加子さんと加藤幸子さんの講演の記録をはじめ、4つのテーマ別のワークショップの報告、吉岡しげ美さんのコンサートの後の、吉岡さん、浜野佐知監督、松本侑壬子さんの楽しいお喋り、佐分利育代さん作・振付のモダンダンス、オプショナルツアー「尾崎翠ゆかりの地を巡る」の模様、さらには地元紙に載ったフォーラム関連記事などが、多くの写真入りで収録されています。 なかでも、翠の生涯の「究極の謎」をジェンダーの観点から解読した小倉千加子さんの「尾崎翠の生涯と作品」、翠の作品世界の内側から「第七官界」とは何か分け入った加藤幸子さんの「尾崎翠の感覚世界」、この2つの講演が忠実に記録されているのは、実に貴重です。特に今回、初めてまとまった形で尾崎翠論を展開した小倉千加子さんの見解は、かつて加藤さんの『尾崎翠の感覚世界』(90年。創樹社刊)が果たしたような、今後の尾崎翠研究における鮮やかなメルクマールとなるものでしょう。 |
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「究極の謎」とは何か? 小倉さんによれば「なぜ、彼女が34歳のときに精神に異常をきたしたのか。そしてなぜ、二度と再び小説、創作に向かわなかったのか」という、読者なら誰もが一番最初に抱くだろう、根本的な疑問です。小倉さんは、それに対して、尾崎翠のジェンダー・アイデンティティを軸に、彼女の「生涯の3つの別れ」を、明快に力強く辿っていきます。この解読は、まことにスリリング、かつエキサイティングなもので、わたしは読みながら、あの日の感動が甦ってきました。 この講演記録は、尾崎翠ファンの必読文献と思われますので、ぜひ多くの人に直接読んで頂きたい。希望の方は、下記の実行委員会にお申し込み下さい。
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なお、「尾崎翠フォーラム・in・鳥取」は、これから毎年、地道に継続して開催されます。今年は、翠の命日である7月8日を前にした、7月6日(土)~7日(日)で検討中だとか。 また、余談ですが、これまでいくつもの尾崎翠論を発表している川崎賢子さんが、岩波市民セミナーで『「尾崎翠」を読む』という講演を、11月7日から4回行いました。わたし(ヤマザキ)が聴講できたのは、残念ながら、第3回の「恋するテキスト-尾崎翠的世界におけるセックス/ジェンダー/セクシュアリティ」だけでしたが、実に刺激的な論旨でした。「あぶなくて、きわどい<尾崎翠>」(レジメより)なんて、嬉しくなって思わず踊り出したくなるようなフレーズではありませんか。小倉千加子さんの講演に引き続き、ジェンダーやセクシュアリティを巡る論考は、尾崎翠の尖端的な読解、あるいは今日的な<尾崎翠>像の生成を示すものでしょう。 岩波書店の担当者の話では、この連続講演をもとに「セミナーブックス」として出版されるそうですから、刮目して待ちましょう。そういえば、近藤裕子さん(札幌大学助教授)の博士論文も、そろそろ上梓されるはずです。2002年も、尾崎翠は大いなる展開を見せてくれることでしょう。(2001・12・25) |
●翠の新世紀へ●-「尾崎翠フォーラム・in・鳥取」01年6月2・3日 - |
▲鳥取での生田春月追悼会(1930年)での尾崎翠。左は橋浦泰雄、右は秋田雨雀。(鳥取県立図書館提供の写真を、鳥取市歴史博物館がパネルにしたものを複写) |
尾崎翠がすらりと羽織を脱いで、夏の歌の準備にかかっている。そんな鮮やかな光景を目撃するような、めざましい2日間でした。晩春の翠が着ていた羽織は、いささか旧式のちょっぴり悩ましいものでしたが、それを脱ぎ捨てた翠は、どんな夏の歌をわたしたちの前に披瀝してくれるのでしょう。 生地であると同時に、長い晩年を過した鳥取で、2日間にわたり「尾崎翠フォーラム・in・鳥取」が開催されました。いくつもの意味でエポック・メーキングなイベントでしたが、なによりも尾崎翠の69年の復活、79年の全集発刊に始まる「神話の時代」に終わりを告げ、旧式の文学的粉飾や殊更の神秘化を打ち捨てた、晴朗な「夏の時代」の始まりを告げるものでした。 地元の女子高生や大学生が、映画『第七官界彷徨・尾崎翠を探して』を熱心に見入っています。フェミニズム心理学の小倉千加子教授が、ジェンダーの観点から尾崎翠の生涯と作品を、ダイナミックに解読します。時代に先駆けた『尾崎翠の感覚世界』(90年)という著書を持つ、作家の加藤幸子さんが、第七官界とはどういう世界であるか、諄々と解き明かします。映画では音楽監督を務めた吉岡しげ美さんが、金子みすゞをはじめとする女性詩人の世界を、時にはリリカルに、時には力強く歌い上げます。そして4つの分科会では、各地の若手女性研究者の皆さんも参加して熱心に意見を交換しました。また大阪の石原深予(みよ)さんが発掘した全集未収録作品の主なものは、岩井温泉の尾崎翠資料館に展示されています。参加者有志はバスに乗って、岩美町や鳥取市内の翠ゆかりの地を巡りました。こんな日が来ることを、誰が予想したでしょう。 今回のイベントは、尾崎翠の歴史の上でも画期的な事件でしたが、それが鳥取の地から全国発信されたところに、大きな意義があります。映画のロケ時や、完成した後の先行上映では、地元でも尾崎翠を知る人が少なく、出来上がった作品も「難解」とおおむね不評でした。しかし、カンパ運動のスタートから支援してくれた少数の人たちが核となって、地熱のように尾崎翠の見直しが行われ、そして今、全国に向かって尾崎翠の新しいエポックを告げる「フォーラム」となって結実したのです。 ■実行委員たちも卓抜な論考をもって臨んだ 東京や名古屋から講師を招いただけではありません。実行委員たちは「尾崎翠のコスモロジー」と題し、地元ならではの、あるいは卓抜な視点からの論考をもって「フォーラム」に臨みました。(人文学論集鳥取『ファイ』臨時増刊号所収)。初期作品と岩美の海について、時にハイブラウな観念を交えながら平易に中学生に語りかける西尾雄二さん(同誌編集発行人)。東京への出郷者グループと、故郷鳥取にとどまった作家を比較対照しながら、尾崎翠の位置を測定し、その反映を作品に見る佐々木孝文さん(鳥取市歴史博物館学芸員)。多年の尾崎翠における色彩研究をもとに「無風帯から」を掘り下げ、仏教やキリスト教にも論が及ぶ渡辺法子さん(洋画家。「フォーラム」実行委員会代表)。そして共同通信を退職するや、解き放たれた風船のように(?)自らのグラウンドであるエコロジーと、ユーモアの精神、パロディの論理を見事に接続し、敬愛する花田清輝と尾崎翠を縦横に分析して、倦むことのない土井淑平さん(著述業かつ運動家。「フォーラム」実行委員会代表)。いずれも翠研究の文献として、今後残るものです。 わたしは思い出します。製作から完成直後のこの映画は、全国の女性たちのカンパ運動に支えられながらも、内実は孤立した戦いの連続でした。翠研究の権威とされていた全集編者の稲垣真美氏による私物化を批判して、氏およびその取り巻きから陰湿な妨害を受け、また出来上がった映画も、熱心な支持者を除いては「ワケ分からない」という反応でした。しかし、その後3年、映画は国内外での上映や多くの国際女性映画祭を経巡り、異文化の評価を受けながらパワーアップしました。また尾崎翠研究の世界においても、研究者レベルでは稲垣氏の化けの皮は、とっくの昔に剥げています。そして今、地元鳥取の若い世代が身を乗り出して、スクリーンに向かいあっているのを目の辺りにすると、いささかの感慨なきにしもあらず。はい、バトンタッチね。 「ハロオ、センチナウタヨミ。羽織ヲヌイデ夏ノウタヲ支度シナサイ」(「もくれん」より) *『ファイ』臨時増刊号。発行コンパス社。1,000円。 〒689-1111 鳥取市若葉台北四丁目7-3。 E-mail compass@smile.ocn.ne.jp ■小倉千加子教授による「神話」の破壊 今回の講師の一人、小倉千加子教授が、フォーラムに先立って山陰中央新報に寄せた一文は、例の末期の言葉「このまま死ぬのなら、むごいものだねえ」と呟きながら大粒の涙を流した、という有名なエピソードに疑問を投げかけています。(映画では、稲垣氏の歪曲を含む物語化、と判断し不採用)。また、長兄とともに鳥取に帰る列車で、見送る高橋丈雄の瞳にぶつけた「情念の固まり」は高橋が書いているような「恋びとなるもの」への「愛執」ではなく、この世界に居場所を失って最後に頼った十歳年下の青年にも裏切られたことへの「諦念」と、文壇およびこの世界への「決別」だったのではないか、と指摘しています。 いずれも従来、翠の人生をシンボライズするような挿話でしたが、これをプレリュードとして、小倉教授は「尾崎翠の作品と生涯」と題する講演の中で、本格的な神話の破壊を試みています。翠の生涯には3つの重要な「別れ」があったとして、まずひとつ目が12歳の時の父の死。この時、心理学の用語でいう「葬反応」によって、亡くなった人を自分の内に取り込む。また、翠の兄弟姉妹は、上に3人の兄、下に3人の妹、その真ん中が翠という構成でしたが、学業などで不在がちだった兄たちに替わって、妹たちの面倒を見ることによる兄への同一化。父の性別の内部への取込みと、兄への同一化によって、翠のジェンダー・アイデンティティは男寄りだった。 従来、兄と妹を描いた作品を取り上げ、兄に対する近親相姦的モチーフがあるのではないかと言われてきましたが、教授はこれをきっぱりと否定し、翠自身が意識としては「男の子」だったのではないか。その意味では、日本女子大に入学し、松下文子と出会って、後に同居生活をしますが、この「友情以上、恋愛未満」の関係は、翠にとって幸せな時代だったろう、と小倉教授は言います。圧倒的な男社会で、高学歴の女性同士が同居し、助け合うのは、アメリカでも「ボストン・マリッジ」といって、珍しいことではありません。しかし、そこにレズビアニズムの光を帯びるのも確かなことです。 ところが、旭川の大地主の一人娘だった文子は、父によって昆虫学者と見合いさせられ、婿養子を迎える、さらに夫のベルリン留学によって異国へ去ります。これが、翠にとって2つ目の別れ。ひとりぼっちになった翠は頭痛に苦しみ、薬へのアディクションへと傾斜しながらも「第七官界彷徨」をはじめとする傑作を執筆します。登場するのは、いずれもこの現実世界に居場所のない主人公たちでした。 ■送られた2通の同文の葉書の謎 翠自身も、次第に地に足をつけて生きていくのが困難になっていきます。ここで、小倉教授が着目するのが、高橋丈雄に送られた「身辺に魔手を感じます。すぐ来てください」という葉書。実は、高橋も書いているように、同文の葉書が十和田操にも送られていました。それで二人揃って翠宅を訪問するのですが、「凄まじいばかりの形相」だった翠は、十和田がパンと牛乳を買いに行っている間に、高橋に「恋情を突然告白」します。 小倉教授は、二人への同文の葉書は、危機に瀕した翠が発した「SOS」で、実は相手は高橋、十和田のどちらでもよかったのではないか。年下の青年作家とともに「少女時代に戻って、女のジェンダーを生き直すこと」。それこそが翠の最後の希求であり、それしか、この世界にとどまって、生きていく方法はなかった。このあたりの小倉教授の謎解きは圧巻です。 |
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しかし、高橋は時おり妄想に駆られる翠を持ち堪えることができず、鳥取の実家に連絡する。翠もまた、男に対する気持ちは、父と兄たちを慕う気持ちしかなかった。長兄に付き添われ、鳥取に帰っていく翠。これが3つ目の別れですが、高橋との別れというより、22歳で上京して以降、全力で生きてきた世界すべてとの別れであったことは言うまでもありません。鳥取に帰った翠は、文学への未練など露ほども見せず「肝っ玉母さんのように」「無名の市井の人として」生き直した、と小倉教授は語ります(以上は、わたしの関心にしたがっての要約で、講演の詳細は、後日実行委員会によってまとめられます)。 ジェンダーという概念を導入することにより、尾崎翠の生涯がこれほどクリアに見えて来ることは驚きです。全集編者の稲垣氏あたりなら、非文学的で、新しげな物指しを当てはめただけ、などと苦虫を噛み潰しそうですが、同時代のどんな作家よりも「性差に敏感」(小倉教授)で、「こほろぎ嬢」を代表に男女の境界線を自在に往来することを願ったのが尾崎翠だったのではないでしょうか。「尾崎翠の生涯と作品」は、ジェンダーによって解析されることを、70年以上も前から待ち望んでいた、のです。 しかし、今日の尾崎翠読者の不幸は、筑摩書房の「定本尾崎翠全集」全2巻に、稲垣氏のたわ言を綴っただけの「解説」しか持たないことでしょう。それにしても、下巻「解説」で、高橋丈雄との「同棲」が勝手に2年ほど早まり(同巻の「年譜」とも矛盾している)「24時間×7倍の時間、もちろん幾度か性の交渉も重ねた」だとか「年上の女の愛欲」だとか、まことに下卑た妄想を、例によってあたかも見てきたかのように展開しているのは、すでに「定本全集」編纂時に老耄の度を深めていた証左でなければ幸いです。 |
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(文責:山崎邦紀。01.08.17) |
▲ゆかりの地バスツアー、養源寺の翠のお墓の前で記念写真。狩野啓子・久留米大教授をはじめ、渡邊綾香さん、森澤夕子さん、石原深予さん、大津知子さんなど研究者の皆さんの顔も見える。(塚本靖代さんは、ツアーには不参加) |
▲養源寺におさめられている翠の位牌。 |
▼実行委員会代表の土井淑平さん。締めくくりの挨拶で、来年以降の継続的な開催を力強く宣言する。(もう一人の代表は渡辺法子さん) |
●8月に『百合祭』&『尾崎翠を探して』特別上映会● |
浜野佐知監督の新作『百合祭』と『第七官界彷徨・尾崎翠を探して』を、東京ウィメンズプラザ・ホールで1週間近く同時上映する、特別上映会が8月末に行なわれます。 『百合祭』は、札幌の7月14日の先行上映を別とすれば、初の一般公開となります。また、1998年の東京国際映画祭・カネボウ女性映画週間をスタートとした『第七官界彷徨・尾崎翠を探して』の上映ですが、東京近郊ではこれが最後の大掛かりなイベントとなるかも知れません。 |
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老年女性の性愛という難しいテーマを、軽快な喜劇タッチで描いたのが、『百合祭』です。「老いらくの恋」は時に微笑ましく受け入れられますが、老熟の、特に女性の性愛は、これまで肯定的に描かれることは、ほとんどありませんでした。しかし、七人のお婆さんが住むアパートに、一人のセクシーなお爺さんが引っ越してきたところから、てんやわんやの大騒動が持ち上がる、桃谷方子さんの小説『百合祭』(講談社刊)という原作を得て、老年女性の主体的な性愛の行方を、明るくユーモラスに描いています。 300本を超えるピンク映画を撮ってきた浜野佐知監督が、初の一般映画として自主製作したのが『第七官界彷徨・尾崎翠を探して』でした。それに続く『百合祭』は、ピンク映画時代に直面してきた女性のセクシュアリティのテーマを、一般映画のグラウンドで展開したものと言うこともできます。 老女の性愛、さらにはレズビアニズムの可能性など、キャリア豊かな女優さんにとってリスキーな企画であることは間違いありませんが、幸いにも主演の吉行和子さんをはじめ、中原早苗さん、原知佐子さん、白川和子さん、正司歌江さん、目黒幸子さん、大方斐紗子さんなど、勇敢な実力派の女優さんたちに出演して頂くことができました。 また、「光源氏のような」モテモテお爺さんを演じるミッキーカーチスさんも、永遠のロックンローラーの艶っぽさで「危ないフェミニスト」ぶりを発揮しています。 なお、原作の桃谷方子さんは札幌在住の作家で、1999年の北海道新聞文学賞を受けたのが『百合祭』です。映画の製作にあたっては、北海道新聞社と北海道立文学館の後援を受けました。また、日本芸術文化振興会芸術団体等活動基盤整備事業の助成を受けています。 |
『百合祭』データ | |
浜野監督と、原作者の桃谷方子さん (2001年1月北海道新聞社にて) |
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8月特別上映会日 時:8月26日(日)~9月1日(土) 『百合祭』連日午後2時/7時(ただし、26日は午後2時から舞台挨拶、2時30分からの1回上映のみ) 『第七官界彷徨・尾崎翠を探して』27日から、連日午後4時30分より。 *鑑賞券:1回1,500円。両作品ともご覧になる場合は「ペア券」2,500円。 *場 所:東京ウィメンズプラザ・ホール (渋谷区神宮前5-53-67。地下鉄・表参道駅下車7分、JR渋谷駅下車12分。青山学院前入る) ■お問い合わせ・チケット予約申し込み:『百合祭』上映委員会 TEL03-3426-0820 FAX03-3426-1522 〒156-0052 東京都世田谷区経堂3-24-1(株)旦々舎内 URL:http://www.h3.dion.ne.jp/~tantan-s/(予約受け付け有り) e-mail:tantan-s@f4.dion.ne.jp |
●鳥取フォーラムで全集未収録の新資料発表● |
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6月2日(土)3日(日)に鳥取市で開かれる「尾崎翠フォーラム0in0鳥取」で、全集未収録の紀行文や短文など貴重な資料が発表されることになりました。発表するのは石原深予さん(大阪大学大学院文学研究科国文学専攻博士前期課程修了)で、これまでの調査研究の成果を公表します。 なかでも、大正3年、翠が鳥取高女を卒業する直前から、網代の僧堂に寄宿する時期の短文、紀行文、詩、和歌の発掘は、文学的スタートラインに新しい光を照射するものです。また、昭和5年に「好きな男性!」という問いに応えた「影の男性への追慕」は、「現身」、つまり生身の男性ではなく、写真やスクリーンの男性の、それも肩、脚、背中、声帯(!)などのパーツに惹かれるという、翠ならではの未来的な、つまり現代の文脈にも通じる男性論で、見逃せません。改めて、高橋丈雄との「恋愛事件」は何であったか、考えさせられます。 これらの資料の主要部分は、フォーラムに先立って岩美町の岩井温泉にある「尾崎翠資料館」に展示された後、2日の「ユーモア」分科会で発表されます。なお、分科会はこの他に「フェミニズム」(小倉千加子さん)「感覚世界」(加藤幸子さん)「映画」(浜野佐知監督)の、計4つのワークショップがあります。 注目される新資料の一部を紹介します。 ■大正3年(17歳)の投稿作品 従来、もっとも早く活字になった投稿作品として、同年1月以降の『たかね』に発表された詩や短歌、それに続く『文章世界』に発表された「青いくし」(8月)を初めとする短文が取り上げられてきました。しかし、翠は同時期、『女子文壇』(婦人文芸社)にも、それらを越える質量の投稿を行っていたのです。投稿文学少女時代のオモカゲを新たにする重要な新資料と言えます。 *『女子文壇』3月=短文「冬のよ」、和歌2首。 *『女子文壇』8月=紀行文「海と小さい家と」、和歌4首、詩「こだちの中」、「赤い花」について書いた短文。 紀行文「海と小さい家と」は、3月に鳥取高女を卒業した後、7月に大岩尋常小学校に勤める間に、岩井村の祖父母を訪ねた時のエッセイと思われます。まとまった長さの文章としては、現在のところ、活字になった最初の散文ではないでしょうか。初期の作品で一貫して描かれる日本海との交感に満ちた作品で「便利は悪うにも、魚だけは都です」「いかが沢山捕れてな、明日は浜がいかで一ぱいになる、見事なものだ」といった土地の言葉が印象深い。 このナチュラルな紀行文と、同じ号に載ったロシアの作家、ガルシンの「赤い花」をモチーフとした短文、それに3月の「冬のよ」の2作を読み比べると、一人の書き手によるものとは思えません。ほとんど別人の感があります。「海と小さな家と」が、自然と感応するナイーヴな心を描いているのに対し、2つの短文は、一輪の花を世界の悪の元凶として戦いを挑む狂人の心に共感するなど、緊迫した精神の在り様を、シュールにドキュメントしています。これは「青いくし」にもつながる方向性だと思われますが、こうした分裂を、翠は自覚的に布置したのではないでしょうか。 また、「赤い花」「うち紐の青」(「冬のよ」)「こだちの緑」「胡瓜の青」。17歳の翠は、色への固執にとり憑かれていたように見えます。 |
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■自然主義メッタ斬り *批評「現文壇の中心勢力について」『若草』昭和2年9月号。30歳。 座談会でも、文壇主流の自然主義に対して壊滅的(?)批判を加えている翠ですが、それをすっきりエッセイにしたものです。大家たちの作品を「日常生活の瑣末な記録であり、日記の引きのばしに過ぎない」と斬って捨て、日本の作家には「時代への感受性」が欠乏していると容赦ない。翠自身は、少女小説を書きつないでいる時期ですが、明確な方法論、批評意識を手にしていたのでしょう。 ■サイボーグを愛する翠 *男性論「影の男性への追慕」『詩神』昭和5年1月号。33歳。 「好きな男性!」という欄への回答です。「影」というのは、生身以外の写真やスクリーン、さらには声、頭脳、性癖など、抽象化、分断化されてパーツになった状態を指します。この年連載を開始した「映画漫想」(『女人芸術』全6回)でも「影への隠遁」という章を設け、同じモチーフを語っていました。しかし、チャップリンの肩や、杖、帽子なら馴染みがありますが、この男性論ではジョン・ギルバートの「体躯の側線の異常な美しさで1929年の(多分30年も)の感覚を衝く。上衣の脇からズボンを伝わり、靴の外側まで伸びている強く、しかもしなやかなこの側線」といった描写は、現代の「やおい」作家も顔負けではないでしょうか。 またエフゲニイ・パザロフの「幅広な、美しすぎない(或は柔らかすぎない)響を持った低音(これが男の声のもっとも美しいものです)を吐く声帯」にも、たまげました。声帯への愛! リヴィア・モネ教授の「町子は映画的サイボーグ」という指摘がありましたが、「フランケンシュタイン」を書いたメアリ・シェリーと翠は、どこか共通点はないか、などと考えてしまいます。 ■対位法への着目 *「母のための知識・西洋音楽の聴き方」『愛国婦人』昭和5年7月。33歳。 啓蒙的な解説記事ですが、翠は音楽理論にも精通していたのですね。後半部に至って「和声学」「対位法」「楽式論」を説明しながら、対位法について「メロディーを同時に違ったものを二つ以上も奏すると非常に面白いものが出てくる」と書いているのが注目されます。この年、翠は「第七官界彷徨」に着手しました。 ■素顔の翠 石原深予さんの調査、発掘した翠に対する同時代評は多岐にわたりますが、研究者ならざる素人が読んでも面白いのは、樺山千代の交友録です(『文学党員』昭和6年4月号)。一緒に銭湯に行って洗髪を手伝ってもらうぐらいに親しかった筆者は、親切、正直、さっぱりした気性の翠の日常を伝えています。「お互いさま」「一寸、テレたのさ」といった翠のぶっきらぼうながら、温かい口調が人柄をうかがわせます。 |
●鳥取で尾崎翠フォーラム●6月2日(土)~3日(日) |
またひとつ、大きな気運が動きだしました。鳥取から全国に向けて、尾崎翠を発信しようと『尾崎翠フォーラム in 鳥取』が開催されます。6月2日・3日の2日間にわたって、フェミニズム&ジェンダー研究の小倉千加子教授と、芥川賞作家で『尾崎翠の感覚世界』(創樹社刊)の著者である加藤幸子さんの講演、映画で音楽を担当した吉岡しげ美さんのコンサート、それにテーマごとのワークショップなど、多彩なプログラムが準備されています。また、生地の岩美町や、鳥取市の尾崎翠ゆかりの地を訪ねる巡礼ツアーは、地元ならではの企画です。 わたしたちは、98年の映画『第七官界彷徨・尾崎翠を探して』の完成以来、国内はもとより、世界の各地で上映してきましたが、尾崎翠の作品や生き方が問いかけるテーマの今日性、普遍性について、確かな手ごたえを感じてきました。 コロラド大学での上映会では、作品世界の持つ独特のユーモアに爆笑が相次ぎ(熱い肥やしを浴びて恋愛する苔や、お調子者の三五郎の人気が高かった)パリの日本文化会館での上映では、一助と二助が議論する、おかしな進化論の話題に沸き立つといった具合です。 日本での上映も観たコロラド大学のフェイ・クリーマン助教授は「日本のお客さんは笑わないからね」と言ってましたが、もしかしたら、かつて尾崎翠が時空を越えて投げたボールをキャッチするうえで、わが国は多少感度が低いのではないか、などと悲観しそうになってしまいました。 しかし、21世紀のスタートにあたって、尾崎翠を生んだ鳥取から、あらためて尾崎翠を捉え返す力強い試みがスタートするのは、まことに心強い限りです。フォーラムの中心メンバーは、映画の製作に協力してくれた方々ですが、それ以外の方も多く参加され、このイベントの広がりを示しています。 この機会に、尾崎翠を生んだ地で、その空気を吸い、風を体感しながら、作品や生涯について思いを馳せるのは如何でしょうか。 |
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岩美町の景勝、浦富海岸。 | 岩美町の「尾崎翠資料館」。 |
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●横浜女性フォーラムで上映●何度か横浜での上映のチャンスがあったのですが、ようやく実現することになりました。(財)横浜市女性協会の主催で、映画の上映と監督のトークが、JR戸塚駅近くの横浜女性フォーラム・ホールで行われます。ちょうど、浜野佐知監督の新作の一部が横浜で撮影されたこともあり、ホットなトークが期待できそうです。 |
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●ビデオ屋さんには在りません!●-映画『尾崎翠を探して』をお手元に- |
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※ビデオの販売は終了し、DVDの販売となっています。 |
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昨年暮れのビデオ化を予告したまま、ホームページの更新が遅れ、まったく申し訳ありません。実は浜野組が新作の撮影に突入し、そのあおりでこちらが手付かずになってしまいました(これは苦しい言い訳です。事前に準備して、ひとつひとつ片付けていれば、こんなことにはならなかった)。 ビデオ化は予定通り行われ、目下発売中です。気になる画質も、改めて撮影部と照明部の技師さんが立ち合って調整した、自信を持ってお勧めできるものです。 映画同様に、このビデオ版も大手の流通ルートを通っていませんので、ビデオショップや、レンタル店、書店などにはありません。直接、上映委員会までお申し込みください。価格は1本<6,000円+消費税300円+送料390円>です。 |
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ビデオを早々と見て頂いた海外の方から、嬉しいお便りがありました。尾崎翠の愛読者で、なおかつ『赤毛のアン』が大好き、という方はどれぐらいいるのでしょうか。カナダのトロント市の公共図書館に勤めながら、アンの作者、モンゴメリの研究をしている梶原由佳さんが、ビデオの感想を浜野監督宛てにメールで送ってくれました。「このビデオは私の宝ものです」という梶原さんの言葉は嬉しい限りです。 梶原さんは、自分のホームページのトピックスで紹介して下さり(なんと写真付きでした)日記でも感想を記されたりしています。また『赤毛のアンを書きたくなかったモンゴメリ』(青山出版社刊、1700円)の著者でもあって、帯を作家の松本侑子さんが書いています。数年前に、松本さんの新訳『赤毛のアン』を感激しながら読んだことが、つい先日のことのように思い出されます。 |
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◆梶原さんのホームページ http://yukazine.com | ||
なお、浜野組の待望の新作は、北海道在住の作家、桃谷方子(ももたに・ほうこ)さんの『百合祭』(講談社刊)の映画化です。1999年の北海道新聞文学賞を受けた小説で、個性的なお婆さんたちが大活躍します。主演は『第七官界彷徨・尾崎翠を探して』に続いて出演していただく吉行和子さん。そして、白川和子さん、原知佐子さん、中原早苗さん、大方斐紗子さん、正司歌江さん、目黒幸子さんという異色の顔ぶれです。また、たった一人、色男のお爺さんとして、永遠のロックンローラー、ミッキー・カーチスさんが出演するのも、大いに楽しみなところです。 |
『第七官界彷徨 尾崎翠を探して』上映委員会 |